ナースのメッセージ

看護師歴1年の秋田久美さんの経歴は、ある意味では異色と言えるかもしれない。情報処理系の短期大学を卒業後、大手電気メーカーに就職。約7年間、システムエンジニアとして活躍してきた。その後、都立の看護学校を経て、多摩永山病院に看護師として入職。「簡単になれる仕事ではないことはわかっていました。だからこそ看護師になりたかったんです。」家庭では4歳の愛娘を持つ母として、また主婦としても多忙な毎日。そんな彼女がなぜ、あえて厳しい道を選んだのか。その理由を尋ねてみた。
以前は、まったく別の業界にいらっしゃったとか?
「ええ、180度違う世界にいました。前職はシステムエンジニアといって、情報システムの設計をする仕事だったんです。具体的には、官公庁向けの環境監視システムという大規模なシステム開発に約7年程携わっていました。仕事そのものは面白かったのですが、時間が不規則なことと、肉体的にも精神的にもかなりハードで。そこで20代の終わり頃に「一生働ける仕事はほかにないか」と、真剣に考えるようになったわけです。ある日、看護師をしている私の友人を含め何人かの看護師さんと知り合う機会があり、色々な話をしているうちに、こんな共通点を見つけたんです。“人間の捉え方がとても温かい”こと、そして“すごくユーモアがある”こと。看護師は誰でも簡単になれる職業ではないし、また簡単に続けられる職業でもないけれど、それでも彼女たちが続けていられるのは、きっとやりがいがあるんだろうなと。そう考えていくうちに、どうしても看護師になりたいと思ってしまって(笑)。夫に相談すると、「あなたの人生だから」と言ってくれました。看護学校に入り、2年生の時に、娘を出産しました。夫の協力に日々感謝しています。」
なぜ、救命救急センターを希望されたのですか?
「まず、ここに搬送される急性期の患者さまと関わることで、将来、慢性期や回復期の患者さまがいる病棟に就いた時に、ここで経験したことが役に立つのではないかと。それと日本医科大学の救命救急センターは、全国の救命救急の中でも非常に有名な病院ですし、その現場で働くことの意義の大きさを感じました。まだ入職して間もないため、当面はセンターで看護師としてのスキルをしっかり磨きたいですね。それから先のキャリアは、もっと経験を積んでから決めたいと思います。」
日本医科大学を志望した動機はどんなことですか?
「今勤務している多摩永山病院は、看護専門学校時代、メインの実習先だったんです。4回ほど訪れて感じたのは、実習指導者の質の高さが全然違うということでした。よく看護師は経験がすべてと言われますが、どのような環境で、何をどれだけ学んだかで将来の働き方が決まると思います。その点において、多摩永山病院は卒後教育も充実していましたので、看護師の基礎を築く場として、これほどふさわしい場もないと思い入職を希望しました。 また私自身、多摩市に住んでいることもあって、家族や自分が病気をした時によくお世話になってきたという親近感もありましたね。」
これまでで一番嬉しかったことを教えてください。
「特に印象に残っているのは、交通外傷で搬送されてきた30代前半くらいの男性の患者さまのことです。双子の赤ちゃんがいるお父さんで、枕元に赤ちゃんの写真が飾ってあったんですね。それを見て、こんなに可愛い子供たちを残して亡くなってしまうのかなと、私にも娘がいることもあって思わず泣いてしまったんです。それほど最初は危険な状態にありました。ところが数日後に劇的な回復を見せてくれて、病室で元気にご飯を食べている姿を目にした途端、嬉しくてまた涙があふれてきてしまって。元気になってくださったから言えるのですが、「私は2回違う涙を流したんですよ」って(笑)。ここまで劇的な変化ではないにしても、上がらなかった腕が少しだけ上がるようになったとか、最近はそうした患者さまの小さな変化にも気付けるようになったかなと思います。」
※2008年2月取材時のものです。

